優しい隣人
                                        

 今朝、トーストにバターを乗せていると、母が、突然思いだしたように言った。
 「太一、男の子のくせに、これにお砂糖をかけて食べるの好きだったわね」
 何日かぶりに見る笑顔だった。
 私は頷くと、乱暴にバターをのばし、砂糖壺からすくったグラニュー糖をパンにふりかけて、兄さんがしていたとおり四方からがぶがぶと噛みついた。
 十字の形になった私のパンを見て、「お行儀悪いわね」と言いながらも母の目はおだやかで、兄さんの席だった窓際の椅子に目をやると、ふふっと思いだしたように、また笑った。
 私達は、それから一時間ばかり、兄さんのひどい歯ぎしりは困りものよねとか、玄関の半分を占領しそうな大きな靴をどうにかしなくちゃねとか、とてもつまらない、でも本当は一番大切にしていた話をしながら食事をとった。
 母が「そう、そう」と吹き出すたび、私は、ようやく私も母も、兄さんの死に伴う絶望という呪縛からときほどかれたのだと思った。
 汚れた食器を流しに運びながら、思い切って「兄さんの荷物、片付けよう」と母に話してみた。
 今なら、私達の中で兄さんの存在は不確かだ。出張の続きに行っているような錯覚に陥ることさえある。でも一年たってしまえば、たぶん、すべてが重い事実になって、家中のどこからも、兄さんの思い出を引きはがせなくなる。そして、私達は、家のそこここに散らばった兄さんの影と戦うことになるのだ。そうなる前に、形ある思い出は片付けてしまおう。
 私は、母をせかし、蜜柑の入っていたダンボール箱と大きなごみ袋を持って、兄さんの部屋に入った。
 兄さんが、高校生の頃から集めていたエルトン・ジョンのレコード。読みもしないの に、ずっと本屋に運ばせていた美術専門誌。籠一杯のジッポーのオイルライター。壁に掛かった、ニューヨークのなんとかという前衛画家のグラフィック…。
 惜しんでいたらきりがなく、かといって私と母だけの生活にあったところで仕方のないものばかりだ。私は、センチメンタルな思い出を断ち切り、まるでスーパーで大根や人参を買い物籠に放り込むように、兄さんの荷物をダンボールに入れた。

 兄さんのアルバムとダンボール箱を抱えて納屋の戸を開けていると、生け垣の向こうから「あら、あら」と、末子さんの声がした。
 「幹ちゃん。それ、なぁに」
 眉のさがった、人懐っこい笑顔で末子さんが聞く。
 「兄さんの荷物。もう片付けちゃおうと思って。見れば辛くなるし、私達が泣いてばかりじゃ、兄さんも浮かばれないから…」
 ダンボールの上からずり落ちそうになったアルバムを、私は顎で押さえた。
 「片付けちゃうって、どういうこと」
 丸い目を、くるくる動かして末子さんが、また聞く。
 私は荷物を抱え直し、さっき思ったとこを説明しようとした。でも、末子さんの好奇にあふれた目を見て、やめた。思い出を一気に片付けるなんて、たぶん末子さんに話して も、わかりゃしない。たとえわかってくれたとしても、この気持ちを他人から、簡単に 「わかったわ」などと言われたくもなかった。
 返事をしないまま、納屋のノブに手をかけようとした時、「おやめなさい」と末子さんが大声をだした。そして、大袈裟に顔をしかめ、どうしようもないわねと首を左右に振 る。
 「幹ちゃん。そういうもんはね、毎日眺めて、涙してあげてこそ、ご供養と言うものなのよ」
 「はあ…」
 「太一ちゃんのことを、いつまでも、いつまでも、覚えてあげているのが、家族ってもんでしょ」
 確かにそうだろうが、形や匂いのあるものが消えてしまっても、家族の胸の奥底には、あふれるほどの思い出が残っている。それで充分だ。
 「幹ちゃんは、太一ちゃんのこと恨んでたから」
 末子さんが、溜め息まじりに言った。
 「えっ」
 思いがけない展開に、私は末子さんを見た。
 「だからなのよね。だから、そんな風に冷たくなってしまうんだわ。太一ちゃんは、なんでも良くできたもの、幹ちゃんが太一ちゃんを煙たく思うのも、仕方ないわ。兄妹ってそういうものよ。でもね…」
 彼女の「あら、あら」を聞いた時から、嫌な予感はしていた。また、何かとんでもない勘違いをしているのだ。自分勝手な理解と理屈で、相手に同情したり、怒ったり、話をでっち上げたりするのは、末子さんの得意技である。
 しょうでもないお説教や、的外れの見解に付き合っていたら明るいうちに片付けが終わらない。私は、あいまいに微笑み返すと、末子さんの言葉を無視して納屋の戸に手をかけた。
 もともと、うちの家は末子さんの家の大家さんの持ち物だったもので、二つの家は、生け垣の途中にある古い木戸によって繋がっている。しかし、二十年ほど前、父がこの家を買い取って以来、木戸は釘で頑丈に打ち付けられ使わなくなっている。いくら末子さん が、私の行動を気にいらなくとも、こっちになど入ってこれるはずがない。
 ところがー。
 私が納屋の戸をあけた途端、末子さんは、木戸をがたがたと両手で揺すり、腐った蝶番い側から強引にはずすと、突進するようにうちの庭に入ってきた。あとは、正義感一杯の顔で私の顎の下のアルバムをひったくり、「弘子さん、弘子さん」と母の名前を呼びながら、私の家に飛び込んでしまった。
 あまりの早業に、私は呆然とダンボールを持ったまま彼女を見送ってしまい、はっと気が付いて追いかけた時には、もう縁側で二冊のアルバムは広げられ、末子さんが、母に、同情をこめた声で話しかけていた。
 「本当に、太一ちゃんは、いい子だったわね。いい子ほど先に行ってしまうものよ。でもね、弘子さん、ものは考えようよ。こうして太一ちゃんは、いつまでも弘子さんの太一ちゃんになったんだもの。私なんて見てごらんなさい。娘も息子も寄ってきやしない」
 頷きながら、母は前掛けのポケットから出したガーゼのハンカチで鼻を啜り、涙を拭 く。ようやくおさまっていた涙の堰が、また切れてしまった。
 「そうそう、泣いておあげなさい。私も付き合うわ。今日は、太一ちゃんの思い出話 を、たくさんしましょうよ」
 末子さんの、その慈愛に満ちた言葉に、私は眩暈がしそうになった。いったい、末子さんが、母となにの思い出話をするというのだ。

        *

 私が生まれる前から、うちと末子さんのうちは隣り同士だった。
 同じ造りの、同じだけ年数のたった家なのに、北側にある末子さんの家は、青い苔のはえた木造りの門が腐りかけていて、それを支える柱の上の門灯も、私がうんと小さな子供の頃から上半分が壊れている。息子と娘の話がよく出るが、実際その人達がここにいたことはなく、少し傾いた薄暗い家の中で、末子さんは、ずっと一人で暮していた。
 母は、末子さんのことを、あまり好きではなく、生け垣ごしに天気や朝夕の挨拶程度の話をすることはあっても、ちょっと話が込み入って来ると「ああ、そうだ。お鍋をかけてました」とか「洗濯の途中だから」とか、適当な理由をつけ、逃げるように勝手口に入 る。だから、二十年来の隣り同士と言っても、末子さんの所とうちは、どこかよそよそしく、末子さんがいったいどんな生い立ちの人であるかも知らない。
 子供の頃の私は、どうして母が、あんなに末子さんをさけるのだろうと思っていた。
 子供にとって、末子さんは優しく親切な大人だ。私が小学校から帰るころになると、自分の家の門のあたりで待っていてくれ、「幹ちゃん。いいもんがあるのよ。寄っておい き」と言う。
 彼女の家の玄関先には、角の駄菓子屋で買った、舌がじんじんするようなソースのついたイカ焼きや、濃いピンクに色づけられた雛せんべいがいつもあって、私はそれを、彼女のうちの玄関かまちに座って食べる。特別おいしいものでもなかっただろうに、帰り道に差し出されることが嬉しくて、末子さんがいない時には、私のほうから「おばちゃん、ただいま」と、もの欲しげに声をかけることもあった。
 末子さんは、いつも言った。
 「幹ちゃん、困ったことがあったら、何でもおばちゃんに言いなさいね。おばちゃん は、幹ちゃんのこと自分の娘だって思ってるんだからね」
 「娘…」
 「そうよ。お母さんに言えないことでも、おばちゃんになら言えるでしょ」
 子供にだって、遠慮もあれば気遣いもある。そう言われれば、その期待にそわなくてはとも思う。だから私は、つまらないことでも、なるべく末子さんに相談し、彼女が満足げにアドバイスする姿を見ては、ほっとした。
 ある日、いつものように、末子さんの家の玄関で学校の話をしながらリンゴアメを齧っていると、たまたま早めにパートから帰って来た母が表を通り掛かった。
 私を見付けた母の顔色を見て、「まずいっ」と思ったが、私の隣りで嬉しそうに口を赤くしてアメを齧る末子さんを置いて駆け出す訳にもいかず、私はだまって、うつむいた。
 「どうしたの」
 急に無口になった私を末子さんが覗き込み、「お母さんが…」と、答えようとした途 端、母が末子さんの家に飛び込んで来た。
 母は、私の腕をぐいと掴むと、末子さんの「かまわないのよ」を無視し、「すみませ ん、申し訳ありません」を繰り返しながら、まるで荷物のように私を自宅に運んだ。
 「いつから、あんなことしてたの。家のこと、ぺらぺら末子さんに喋ったんじゃないでしょうね」
 母の説教は、それから夜までぐじぐじ続いた。頼みの父も、勤めから帰って母に話を聞くなり、
 「お隣りほど、付き合い方は気を付けなくちゃいけないんだぞ」
 と、憮然とした態度で私を諭した。
 どうして末子さんと付きあっちゃだめなのか、その時の私には、さっぱり理解できなかった。箪笥の上にある古い姫だるまを「雪ちゃん」と呼んで、いつも話しかけている末子さんの姿は、子供の私にでも侘しくうつっていた。そんな、寂しいおばさんには、優しく親しくしてあげた方がいい。私は、末子さんに甘えてあげることで、お返しをしているのだと思っていた。
 けれど、父も母も、子供がそんなこと心配しなくてもいいのだと、私が末子さんと付き合うことは許さず、私は、両親に責められるまま、今までに何と何をもらったかを白状した。
 翌日、駅前の菓子屋で買った高価なお菓子を持って、母と一緒に末子さんの家にあやまりに行った。母が、慇懃な言葉で末子さんに娘の無礼をあやまり、私は、二度とおばさんのお邪魔はしません、お菓子ももらいませんと約束をさせられ、その事件は終った。
 だが、そういう約束は、すればするほど事が秘密裏に運ぶのが常で、そのあと、しばらくは二人ともおとなしくしていたが、また末子さんが私をお菓子でつり、いつの間にか、私は彼女の家の炬燵に寝そべって、きな粉餅やビスケットを食べるようになっていた。
 私と一緒に炬燵に足を突っ込み、手枕でテレビを見る末子さんは、どうしようもなくだらしない。炬燵板の上にコーヒーカップのあとが残り、いつもねばねばしているのも、木綿のブラウスの袖口が真っ黒になっているのも、最初は落ち着かなかった。もっときちんとすれば良いのにとも思った。でも、人間なんて、くずれた生活にはすぐに慣れるもの で、むしろ、お行儀や整理整頓を細々厳しく言う母の方が、技量の狭い女に見えて来て、私はますます末子さんの家に入り浸るようになった。
 小学校を卒業するまで、末子さんと私の蜜月は続いた。でも、大きくなれば私も忙しくなる。塾だクラブだと帰り時間が遅くなると、自然に末子さんの家によることも少なくなった。暗くなった町に、カバーの壊れた末子さんの家の門灯が寂しげに光っているのを見ると、なんだか申し訳ないような気がして、足速に通り過ぎたこともある。
 もっとも、子供というのはずるくできているから、末子さんといるより、もっと楽しいことがあると知ってしまえば、そちらに気をとられ、次第に末子さんのこともお座なりになっていってしまったのだが。

 末子さんの家に行かなくなってしばらく、そう中学二年の夏。
 クラブの帰り、友達と話し込んでいて帰宅が七時を過ぎることがあった。
 「なにしてたのよっ。こんな時間まで」 
 いつになく、母の機嫌が悪い。
 「別に」
 クラブのある日は、そういう時間になることだってある。どうして、その日に限って叱られるのだと、不貞腐れた態度で制服のまま冷蔵庫を開けて牛乳をさがしていると、
 「末子さんが、知らせに来てくれたわよっ。さっき」
 と、母が言った。
 「何を」
 「幹ちゃん、駅前の店で、大騒ぎしながらパンにかぶりついてるって」
 そう言えば、末子さんがパン屋の前を通りかかり、私を見つけると、突然目をそらして走り去った。私は、末子さん、あわてちゃってどうしたのだろう、と呑気に考えていた が、あれからすぐうちに来たのだ。
 「小さい頃は、お行儀の良い子だったのに、中学に入ってから生活が乱れてるんじゃないかってっ」
 ヒステリックに叱る母を見ながら、私は、どうしてこんな時だけ末子さんを信じるんだと口をとがらせた。いつだって母は、末子さんの言うことなんて当てにならないと言っていた。
 苛立つ母をいたぶるように、一リットル入りの牛乳を、わざとパックのまま飲んで見 せ、私は、末子さんが母にどんなふうに話をしたか考えた。
 末子さんには、果てることのない想像癖がある。
 牛乳屋の奥さんが出産で実家に戻った時、ご主人が付いて行かなかったというだけで、「どうやら夫婦仲が良くないらしい。子供ができたけど、実家に離婚の相談に行っているようだ」と、想像を膨らませ勝手に心配していた
 八百屋のご主人が胆石をこじらせたのと、八百屋の息子が信用金庫をやめるのが一緒になった時は、ちょっと質が悪く、
 「八百松の主人、胆石だって言うけど顔色が悪すぎるわ。きっと癌よ。私、そういう人知ってるもの。息子さんが、こんな時期に信用金庫やめるっていうのも変よね。やっぱりお金がいるのかしら。もしかしたら八百松に借金があるのかもね。そうよ、その借金の返済に追われてるのよ。退職金で借金返済。そう、そう、これで辻褄が合う。ああ、なんてお気の毒なのかしら」
 と、それは深刻そうな顔で、煙草屋のおばちゃんや、新聞代の集金に来たおばさんに耳打ちし、八百松を案じていた。
 その日の夜には、母でさえ、八百屋の主人の癌と借金の話を知っていて、「八百松さん癌ですって」と父に話していたのだから、あの時は、町内のほとんどの人が八百松さん は、莫大な借金を抱えて癌になったのだと思っていたに違いない。
 何か核となる話題があれば、そこに末子さんの主観というスパイスがふりかけられ、話はとんでもない方向に膨らんで行く。でも、それは、決して悪気からはじまるのではな く、末子さん本人の言葉を借りれば、人の表面にでない部分まで察して心配してしまう優しすぎる性格が、末子さんをじっとさせないだけなのだ。
 大方、私のことも「最近、幹ちゃんは自分を避けている。何か理由があるに違いない」と、心配していたところに、パン屋で友達と騒ぐ私を見付け「幹ちゃんには、悪い友達ができた。きっと、不良になったのだ。もしかしたら万引きでもしてるんじゃないか。そうだ。そうに違いない…」と一人でパニックを起こし、母へご注進に走ったのだろう。
 その日は、それで済んだが、末子さんは、それ以後、まるで私の素行調査が自分の天命とでも思い込んだのか、商店街で見たとか、映画館に男の子と行っていたとか、あることないこと母に知らせに来るようになった。
 私は、末子さんが水道の蛇口から直接水をのんでいたことも、羊羮を包丁で薄くそい で、そのまま口に撫ぜこんでいたことも知っている。炬燵に寝そべったまま長電話をするのが趣味で、私が昼寝をしている間中、スターのゴシップや近所の噂話を誰かと楽しんでいた。そんな女に、素行をとやかく言われる筋合いはない。
 それまでは、道で会えば子供の頃のよしみで「末子おばちゃん」と、お愛想の挨拶もしていたが、以来、私は末子さんを無視することに決めた。
 私との縁が切れると、末子さんと我が家はますます行き来がなくなり、回覧板をまわしたり、宅配便を預かってもらった時、受けとりに行って礼を言ったりはするが、あとはごく表面の付き合いだけになった。

 それが去年の秋、兄が出張先のO市で倒れて入院し、私と母が兄の看病をしているうちに、末子さんは、うちの中を我が物顔であるくようになってしまった。
 私が十七の時、父が亡くなって、うちは母子家庭になった。しかし、その後は私より十二歳年上の兄が我が家の家長の役割をはたし、私達は結構平和に暮していた。
 特に私は、兄の保護下、父親のいない苦労を味わうこともなく呑気に短大に通い、兄が倒れたと知らせが入った日も、友達と遊びに行く約束の時間までに帰れるのと、ぶつぶつ言いながらO市に行ったくらいである。
 ところが、事態は私が考えていたほど甘くなく、最初の検査で兄の余命は半年と宣告されてしまった。
 医師の説明によると、脳の中にできた腫瘍が人の何倍もの速さで増殖するという、何万人かに一人の重い病気で、彼の左脳の半分は腫瘍によって犯されており、一応手術もするが、それは治癒のためというよりも、命を、ほんの少し引き伸ばすためだけのものになるだろうということだった。
 私は混乱した。兄の死など、想像もつかなかった。きっと、何かの間違いだと思い込もうとした。
 しかし、私のとまどいなど無視するように、医師の言った急速に増殖する腫瘍のせい で、見る間に兄の身体の機能は衰え、手術が済むと、彼は、食事をとるのも起き上がるのも、人の介護がなくてはだめになった。
 だから、とりあえずのつもりでO市に行った私と母だったが、結局、家に帰ることもできないまま、兄の病室の床に布団を敷き、交替で彼の看病をはじめることになってしまったのである。

 兄の手術が済んで一週間目。
 思いがけず、末子さんが、大きな菓子折りを持って見舞いにやってきた。まさか、片道一時間半もかかる海の向こうの町から見舞いに来るなど、思ってもいなかったから、私は驚き、すっかり気弱になっていた母は、末子さんの「お力になれることがあったら、何でも言ってちょうだいね」という優しい言葉に、泣き出してしまった。
 兄の手や額を優しく撫で、「太一ちゃん、おばちゃんよ。わかる」と見舞ったあと、末子さんは私達を病室の入り口付近につれて行き、実は昨日の夕方、お宅の前で、家の修繕をたのまれているという工務店の人に会ったと話をはじめた。
 「聞けば、今週から工事をはじめることになっていたっていうじゃない。それで、どうするのかしらって心配になって来たのよ」
 「どうするって」
 私も母も、答えはひとつだった。兄が、こんなことになってしまったのに、家の修繕どころではない。
 「あら、それは違うわよ、弘子さん。こういう時だからこそ、家は綺麗にしなくちゃ。いつ、なんどき、お客を呼ばなくちゃいけないかもしれないんだから」
 小声で言うと、末子さんは、ベッドで天井を見つめる兄をちらりと見た。
 どういう意味よー
 兄が倒れて以来、幼稚な責任感ばかり膨らんでいた私は、もう少しで、彼女に食って掛かりそうになるところだったが、そこをぐっと押さえて、「でも、私も母もこっちに詰めてるんで、大工さんのお世話ができないし…」と、話を終わらせようとした。
 「あら、あら。そんなことなら、私が大工さんにお茶もお出しするし、監視もしててあげるわよ。弘子さんと幹ちゃんは、太一ちゃんの看病のことだけ考えていたらいいんだから」
 「でも…」
 「何いってんの。こんな時の、ご近所でしょ。私に気兼ねなんて無しにしてね。ほかの時じゃないのよ」
 末子さんの口調は、親戚よりも、兄の会社の人よりも力強かった。もっとも、この口調が曲者で、この包容力のある喋り方についすがり、町内中にあらぬ噂を撒き散らかされた人を、私も母も何人か知っていたから、とにかく辞退せねばと言葉をさがした。
 でも、末子さんは、まるですべての対処方法をあらかじめ考えて来ていたように、ああ言えばこう言い、こう言えばああ言いと引き下がらない。
 「どうする、幹。末子さんのお言葉に甘えさせていただくかい」
 根負けした母が、私に話を振ってきた。私は、末子さんと一戦交えても断るべきだと拳を握り直したが、母が私の膝をつつき、これ以上、話をこじらせるとまずいよ、と目で合図してきた。
 「おばちゃんと幹ちゃんの間柄じゃない」
 末子さんは、善良で人懐っこい顔に慈愛の笑顔を加え、私を見る。おばちゃんになら、なんだって相談できるでしょと言っていた頃と同じ顔だった。
 私の頭の中では、彼女が絡むと鬱陶しいことに巻き込まれるぞという囁きが聞こえていた。でも、ここで断れば、人の好意を無にした奴と言われるかもしれない。末子さんの言うことなんて、当てにならないと思っていても、噂という奴は、広がり出すと一人歩きしてしまうものだ。慎重に答を出さなくちゃ。
 「遠慮はなしよ」
 しかし、末子さんが声をかけるたび、気持ちばかりあせり、ますます考えはまとまらない。
 どうしよう、どうしようー
 結局、最後は、末子さんにより切られる形で、今は兄以外のことを考える余裕はない、頼めることは頼んでしまった方がいいのだと強引に自分を納得させ、「お願いします」と頭をさげた。
 私の言葉に、末子さんの顔はぱっと明るくなり、それなら、ちょっと修理の概要を伺っておかなくてはと、脇に置いてあった大きな布袋の中から新しいノートとボールペンを取りだした。ずいぶん準備がいいじゃないのと、嫌味のひとつも出そうな手際の良さだったが、すっかりその気になっている末子さんと、事を丸く収めたがっている母には何も言えず、私は黙って給湯室にお湯を取りに行った。
 「じゃあ、お世話おかけしますが」
 「大丈夫よ、心配いらないから。弘子さんは太一ちゃんのことだけ考えて。そうそう、それから、二人とも体に気を付けて、風邪なんてひかないようにね」」
 帰りのエレベーターの扉が締まるときまで、末子さんの口調は、力強く頼もしかった。
 大工さんが休みの日、末子さんは必ず見舞いに来て、家の工事の進み具合を報告してくれる。「昨日、台所の床が張りかわったわよ」「あさって、流し台を入れ替えるそう よ」。私達は、末子さんの報告を聞くたび、だんだん改築が進む我が家のことを思った。兄の病気に希望はなかったが、それでも、綺麗になった家で兄が療養できれば良いと思っていた。

 兄の看病を理由に、ずっと短大を休んでいた私は、卒業試験が始まる一週間前、家に戻ることにした。
 兄のことは、もちろん気掛かりだったが、そうそう家をほったらかしにする訳にもいかない。それに、予定よりずいぶん遅れている工事の進捗具合も見たかった。バッグに洗濯物を詰めれるだけ詰め込むと、私は、海を渡る列車にのった。
 家について玄関戸に鍵を突っ込もうとした時、薄く戸が開いていることに気が付いた。手をかけると、すっと動く。前日、末子さんが病院に来て「二、三日、大工さんはお休みですって」と言っていた。それなのに、どうしたのだろうと靴を脱ぎつつ、家の中をうかがった。玄関脇の座敷から低くテレビの音がする。そっと襖をひくと、末子さんが居間の炬燵を座敷に引っ張りこんで、その中に足を突っ込んだまま、長く寝そべっていた。
 「あら、あら、幹ちゃん」
 私を見付けた末子さんは、あわてて上体を起こした。
 「大工さん、お休み…」
 「ええ、そうなのよ。でも、誰もいないと物騒でしょ。それに、あなたたち病院で薄い布団使ってるじゃない。だから、今度行く時、厚いお布団を持って行ってあげようと思って」
 座敷の隅には、押し入れにいれてあった客用の布団が一組、だらしなく畳んで積み上げられている。敷き布団の間には、使い古しのシーツが無造作に挟まれていた。
 どうして帰って来たのと末子さんが聞き、試験勉強をしようと思ってと私が答えると、じゃあ栄養つけなきゃねと、末子さんは、いそいそと台所に立って、自慢の白菜鍋を作ってくれた。
 鶏のミンチで作ったつくねが浮かぶ鍋を二人でつついていると、幹ちゃんと何か食べるの何年ぶりかしらねと、末子さんが笑いかけてきた。
 「さあ…。小学生の頃だから」
 私は、ぽん酢の中の椎茸を箸でつつきながら答えた。
 「じゃあ、十年にもなるのね」
 感慨ぶかげに、末子さんが白菜を摘む。
 「覚えてる、幹ちゃん。うちで、のんびりしてる時、おばちゃんちの子どもになりたいって言ったの」
 「そうでしたか…」
 「そうよ。幹ちゃんと太一ちゃんは、十二も年が離れていたから、遊んでもらえない し。弘子さんは、パートで忙しかったしね」
 「はあ…」
 「寂しかったのね」
 末子さんがずるっと鼻をすすり、箸を持ったまま、右手の甲で老眼鏡を持ち上げ涙を拭った。
 寂しかったかどうか、もう覚えてはいない。確かに私は、母がパートから帰る夕方の五時ころまで、よく末子さんの家で過ごした。でも、末子さんといるから嬉しかったとも思えない。私は単に、末子さんからもらうお菓子や、いつも雑然としていて、少々汚しても怒られない末子さんの家に、子供ながらの安息を求めていただけのような気がする。
 鍋の具がほとんどなくなった頃、私はひとつ大きく息をした。末子さんに、言っておかなくてはならないことがある。それは、家の玄関戸を開けた時から思っていたことだ。
 「末子さん」
 末子さんが、人懐っこい丸顔をあげた。
 「しばらく私もいますし、勝手口の鍵を…」
 「鍵…」
 「はい。お預けしてある」
 「ああ、あの鍵」
 エプロンのポケットから、鈴のついた真鍮の鍵を出すと、末子さんは食卓に置いた。それに私が手を出そうとすると、彼女は「でも、あれね」と、何かに気付いたように話しはじめた。
 「あさってから、また大工さんは来るのよね。幹ちゃんは、勉強するっていったって、べったりここに居る訳じゃないでしょ。学校にも行くし、友達にも会う。困ったわね。どうする。幹ちゃんがいない時、またうちに大工さんが、奥さん鍵開けて下さいって来た ら」
 「・・・・・」
 「私は、預かってないって言えばすむけど、あっちは、他の仕事の合間に来てる訳でしょ。なによね。大工さんも、改築工事は、いくらの儲けもないのに、面倒なことが多いから嫌がるのよね。途中で投げ出されでもしたら、お手洗いに窓もないまま、入らなきゃなんないのよね」
 末子さんがにっこり笑い、私は手を引っ込めた。勝手口の真鍮の鍵は、また末子さんのエプロンのポケットに入った。

 試験が済み、私が病院に戻る頃になっても改築工事は終わらず、私は、鍵を末子さんに預けたまま、また列車に乗った。
 相変わらず末子さんは、大工さんが休みの日には病院に顔を出す。そのたびに、リンゴだ寿司だケーキだと見舞いの品をさげて来る。彼女は午後の面会時間のほとんどを、兄の病室で過ごした。
 「そう、そう。お向かいの石田さんたら、今頃になって、弘子さん、どうしてるかしらって言うのよ。どうしたもないもんよね。お見舞いにも来ないくせして」
 母から差し出された蜜柑をむきながら、末子さんが、私達に同意を求めるように、石田さんの不義理を詰った。
 兄が入院するので、看病のためしばらく留守になるという電話は、町内では石田さんだけにした。末子さんに頼むと、かならずいろいろ詮索されるので、二、三年前から、何かある時は石田さんにお願いすることにしていたのだ。電話をかけた時、石田さんは、遠い所だからお見舞いにも訪えないけど、お大事にと言ってくれた。それだけで充分だと私達は思っていた。この間、私が試験で町に帰っていたとき、石田さんは、町内で集めたという見舞金を持って来てくれ、末子さんからしつこく聞かれ病院の名前を答えてしまったことを詫びた。
 「そういや、石田さんとこの数ちゃん、大学どうだったのかしらね」
 母が何気なく口にし、私を見た。私が答えようとすると、
 「また、だめだったらしいわよ」
 と、末子さんが食べかけの蜜柑をサイドテーブルに置いて、身を乗り出してきた。
 数ちゃんは、私と同い年の男の子で、二回目の浪人生活を送っていた。夏に図書館で会ったとき、二年目ともなると近所の好奇の目もなくなって気が楽さと言っていたが、うちの近所は、そんなにたやすくないだろうと、私は思った。
 「国立の試験待ちらしいけど、親があんなじゃ、子供のできも知れてるわよ」
 「あんなって…」
 「お向かいなのに、お見舞にも来ないじゃない」
 「受験生抱えてたら、お忙しいから。それに、遠いし」
 「何いってんの。そんなこと、理由になるもんですか。石田さんて上品ぶってるけど、あれは相当の腹黒よ。弘子さんは人がいいんだから、気をつけなきゃだめ」
 この断定的指導口調に、私達は、いささか疲れている。けれど、せっかく見舞にきてくれている末子さんを無視するわけにもいかず、結局は「ふん、ふん」と聞いてしまった。
 石田さんのことがすめば、裏の夏川さんの娘さんの結婚話、商店街の毛糸屋のおばさんの病気の進行具合…。
 「懐かしいでしょ」
 話の途中で、ときどき彼女はいう。
 「そうですね。もう三か月も帰ってないから」
 母の愛想を、そのままに受けとり、また話は続く。
 一通り話し終わると、末子さんは、分からない事は何でも聞いてちょうだいと、腕まくりをして私達からの質問を待った。仕方なく、この間のあの話…と言えば、末子さんは満足げに「ああ、あれね」と、楽しそうに次の話題にうつる。
 つまらない質問をするたび、私は、子供の頃「算盤袋の色は、赤の方がいいかな、チェックがいいかな」と、末子さんに相談していた自分を思い出す。お菓子を貰うという借りを、末子さんに相談をするという形で、私は返そうとしていた。
 末子さんは、常に人に対し善意をほどこしたいタイプの人間だ。善意に代償など必要ないと言っても、目に見えないバランスシートがあって、ほどこされたほうは、彼女の気持ちを満たす何かを渡さなければならない。それで、均衡は保たれている。今の私達にとって、末子さんの善意に従順であることが、そのお返しだった。
 末子さんの親切は、日に日にエスカレートしてきていた。私が眩暈に悩まされていると知ると、匂いをかぐだけで気分の悪くなりそうな貧血防止ジュースを作って来てくれ、母にも、疲労回復にと、あやしげな漢方薬を買ってきた。見舞いに来ると、末子さんは薬やジュースの残り具合を点検し、私達が飲み忘れていようものなら、子供を叱り付けるように説教した。
 そのうち私は、末子さんが現れる頃になると、あわてて汚物処理器の中にジュースを流し込んで量を合わせ、「今週は、ちゃんと飲めたのね」と末子さんに褒めてもらう、「とっても、調子がいいです」と嘘をつくようになっていた。
 兄の看病で、心も身体も磨り減らしている私達にとって、彼女の、この一方的な善意は重かった。末子さんが帰ってしばらくすると、母はきまって丸いすに座ったまま居眠りをはじめる。ゆらゆらと船をこぐ母を見ながら、もう拷問だなと、私は思った。

 二月の終り、O市のデパートから末子さんあてにお礼の品物を送るよう、母が私に言い付けた。お見舞い返しは、兄さんが退院してからで良いじゃないのと言ったが、兄の病状に、もうお見舞い返しはないと私にもわかっていた。
 五十間近の末子さんに何を送って良いのか見当もつかないまま、デパートをうろついていると、家庭用品売り場と子ども服売り場を繋ぐ踊り場のベンチで、煙草を吸う末子さんに出くわした。
 「あっ」と、私が声をあげるのと同時に、末子さんは例の笑顔で私に笑いかけ、今から病院に行こうと思ってたのよと言った。
 「今日、大工さんは…」
 「今日は、お休み」
 「そうですか」
 「壁塗り、来週ですってよ。ほんと、長くかかるわね」
 末子さんは、壁のポスターに目をやったまま、はあっと煙草の煙を吐き出した。
 私は、直感的に、末子さんは何か嘘をついていると思った。
 末子さんは、勘違いと想像癖で人を困らしはするが、嘘つきではない。むしろ、嘘をついたり、騙したりする人間を憎む正義感の持ち主である。正しいことをしていると自分を信じている時の末子さんは、真っ直ぐこちらの目を見て話をする。末子さんが目をそらすなんて、絶対に何かを隠している証拠だ。
 私は、家の改築の事だろうと思った。
 家に戻って勉強をしている間も大工さんは来た。確かに、別の仕事の合間に来ていたから、仕事は半日だったり朝の二時間だったりしたが、私が、明日病院に戻りますと挨拶をした時、あとは壁を塗って外の電気工事がすめば終りですから、二、三回ですよと言っていた。その時、請求書は、留守番の人にたのんでおきますから、ついでのとき振り込んでくださいと言われ、いつでも払えるよう定期預金を崩したのだ。あれから、もう三週間以上たっている。終っていないはずがない。
 請求書を受けとるのは、末子さんだ。末子さんが、請求書を私達に見せない限り、私達は工事の終了を知ることはできない。
 「壁って…どこの…」
 「二階の太一ちゃんの部屋と、幹ちゃんの部屋。それと、お座敷と居間でしょ。弘子さんから聞いた壁塗りは、それだけだったけど、ほかにもあるの」
 「いいえ」
 「幹ちゃん。今も、熊のプーさん好きなのね」
 「えっ」
 「ベッドのところにずらっと並べてあったから」
 最初のプーさんは、末子さんが、私の十歳の誕生日の時、買ってくれたものだ。おなかがぽっこりでた人の良さそうなプーさんは、小柄で小太りの末子さんにそっくりだった。商店街のおもちゃ屋で見付けたと、末子さんは、まるで自分の分身でも渡すように、私にプーさんを抱かせた。
 別に末子さんにもらったから、その後、プーさんを集めだした訳でもないと思うのだ が、いつの間にか、私の部屋には黄色い熊が増えていった。
 「私の部屋に入ったんですか」
 「だって、左官さんが下見に来た時、女の子の部屋を勝手に見せる訳にいかないでし ょ。大丈夫、ちゃんと立ち会ったから、安心して」
 「あの…」
 「いいのよ。分かってるわ、幹ちゃん」
 末子さんが、声をひそめて、私の耳元に自分の顔を近付けた。
 「太一ちゃんの部屋に何があったかでしょ…」
 「へっ」
 「誰にも言わないわ」
 「・・・・・」
 「壁の、あのグロテスクな絵を見て分かったの。太一ちゃんは、心をやられたのね。それが脳に来たんでしょ。幹ちゃんや、弘子さんが目を離せないのも分かったわ。そういう病気は、そうそう直るもんじゃないもの。本当に、ご苦労ね」
 「心の病気…」
 「わざわざO市で入院してるのも、そのためなんでしょ」
 「あの…」
 「いいの、いいの。そうよね、言いたくないことよ。私は、人の嫌がる事、わざわざ聞きゃしないわ。幹ちゃん」
 彼女は、また私から目をそらした。
 なんてことだー。
 見当違いの同情を含んだ末子さんの悲しげな顔を見て、私は目の前が真っ暗になった。
 兄の病室のドアには、一応面会謝絶の札が掛かっているが、末子さんは親戚以上に私達の面倒を見てくれていたから、病室にも入ってもらっていた。ベッドの上で虚ろな目を し、私や母に重湯を食べさせてもらう兄を見て、彼女の想像癖が働いたとしても、それは彼女を病室に入れてしまった私達のミスで、彼女の責任じゃない。
 今頃、町内では兄の病気がどんな風に噂されているのだろう。全身に鳥肌がたった。

 それから一週間後、工務店から改築が終わったと病院に連絡があった。私は列車に乗って家に戻り、改築料の支払いを済せた。末子さんは、私の後見人として支払いについてきてくれ、端数の三千四百二十五円を値切ってくれた。
 明るいアルミの外壁や、磨きのかかった床、庭に張り出したサンルーム。すべて、兄がお嫁さんをもらう日を頭に置いて考えた設計だった。でも、そのすべてが、末子さんが予言したとおり、それから間もなく亡くなった、兄の通夜と告別式に用意されたものとなってしまった。
 弔問に訪れる近所の人達は、三十そこそこでなくなった兄のことを気の毒がり、夫にも長男にも先立たれた母のことを励まして帰っていく。でも、誰も兄の病気についてふれるものはいなかった。私には、その方が、よほどこたえた。末子さんの口から出た言葉により、適当な病名をつけられただろう兄のことを思うと、無念でたまらなかった。
 それでも、末子さんには確かに世話になったのだし、すっかり力を落とした母にかわ り、葬儀社との折衝や客の応待などをてきぱきこなしてくれる彼女に、文句など言えるはずがなかった。

        *
 
 縁側では、母と末子さんが、まだ兄のアルバムを眺めている。
 この半年ばかりの看病でやせ細った母の肩が揺れるたび、末子さんが「ほんとに太一ちゃんは、良い子だった」と声をかけ、母はすすり泣きながら何度も頷く。私には、慰めると言うよりも、母の中でようやく眠りはじめた兄の思い出を、無理に揺さぶり起こすように見えた。
 もう、やめてくださいーと口を開きかけた時、末子さんが、母の背中を撫でながら、呟くように喋り出した。
 「弘子さん。人間、一人じゃ寂し過ぎるわよね」
 母が、顔をあげ末子さんを見た。
 「私のことを、まわりがどう言ってるか分かるのよ。でしゃばりだの、お節介だの…。でもね、私は、そういう人間も必要だと思うのよ。そうやって、誰かが声をかけてあげないと寂しがる人もいるわ。私は、親切がお節介だなんて思わない」
 黙って、母が頷く。
 「私、弘子さんのことを、ずっと妹だと思っていたのよ。隣りに引っ越して来た時か ら、ずっと。だから、太一ちゃんのことも、ここで生まれた幹ちゃんのことも、他人だなんて思えなかったの。これからも、仲良くしましょうね」
 末子さんの象のような皺だらけの目から涙が滲み、そのまま染みの浮き出たほうを伝って、顎の先から手の甲に落ちた。母は、末子さんの涙を、鼻水で汚れたガーゼで拭き、彼女に向かって深々と頭をさげると、また泣きはじめた。
 私は、振り上げた拳を隠すように心の尖りを押さえ、台所へ行って茶の準備をはじめ た。
 私がO市から帰り、二人で白菜鍋をつついた時、こうやって人と向かい合うだけでも御馳走だわと、彼女は言った。嬉しそうに夕飯の準備をする彼女を見て、他人の家に入り込んでいい気なもんだと白けたけれど、彼女にとっては、久々の食事らしい食事だったのかも知れない。
 台所を入れても五部屋しかない家は、うちの家族にとっては、どうしようもなく狭い家だった。母が、年中がみがみ言いながら片付けることで、ようやく暮せる場所を確保できていた感じだ。でも、一人で暮すには、余りに広く冷たく寂しい家だと思う。家族がぽろぽろ抜けていって家が広くなり、思いがけない空きスペースを見付けた時、言い様もない寂しさが襲ってきたこともある。
 夕方、町の人達が商店街で買い物をはじめる頃になると、末子さんは決まって肉屋や八百屋のレジ横に座り、顔見知りを掴まえては何時間も話をしている。よほど暇なのだろうと思っていたが、たぶん、あの家に帰るのが嫌だったのだ。
 本当の家族とは、事情があって一緒に暮せないぶん、末子さんは、他人の心配をし、近所の子供達の世話をやくことで、自分をなぐさめていた。真は寂しがり家で心根の優しい人なのだ。小さい頃の私は、彼女の、そんな部分を利用して、ぬくぬくと過ごしていたではないか。
 あの頃も今も、末子さんは、変わっていない。変わってしまったのは、私の方だ。大人になり、人に干渉されることに煩わしさを感じた頃から、私は彼女を毛嫌いしていた。彼女の善意を、はすに構えてしか見れなくなっていた私の方が、ずっと卑しい人間なのかもしれない。

 盆に湯のみを二つ乗せ、縁側に出ようとすると、末子さんが眉間に皺をよせて廊下を下って来た。
 「お茶を…」
 私の声に顔をあげた末子さんは、私を見て辛そうに囁いた。
 「幹ちゃん、大変ね…。おばちゃんにできることがあったら、言ってね」
 「はあ…」
 「弘子さん。とうとう心を病んでしまったわね」
 「えっ」
 「太一ちゃんが、まだ生きてるって言うの。今朝も、食卓に太一がいたって…。そんなはず、ないでしょ。私だって、火葬場までついて行ったんだから」
 「いや、そういう意味ではないと…」
 「やっぱり幻聴とか、幻覚とかあるのかしらね。お気の毒に。でも、心配ないわ。誰にも言わないから、私の胸におさめておく。安心してね」
 「あの…」
 「いいの、いいの、分ってるから」
 私の言葉を振りきり、サンダルを突っかけて、末子さんは自分の家と反対方向に走り出た。
 その後ろ姿が、やけに嬉しそうに見えたのは、私の錯覚だったのだろうか。
                       (了)