二つの主題をみごとに重ね 1992年(平成4年)6月 毎日新聞同人雑誌ベストスリー
四国作家16号の「卯の花饅頭」を愛読した。或田舎町の”平和でのどかな”商店街が、都市開発の波に飲まれて衰退していく過程を、33歳の独身の”私”が愛情をこめて語る100枚の力作である。消えてゆく”私の町”へのいわばレクイエムだ。
商店街の洋装雑貨店の娘だった私と隣家の饅頭屋の息子のサブとは、同い年で”おむつの時代からの幼なじみ”である。進出する百貨店を核にした新都市構想が進み、古い店が櫛の歯が抜けるように次々と立ち退いていく寂しい光景の描写と平行して、私とサブとの30年来の友情の歴史が懐かしく回想される。子供の頃から鼻っ柱が強くしっかり者だった私は、素直で気の弱いサブをずっと”子分”扱いしてきた。が、生まれた町を失う寂しさも手伝って、今は立派な饅頭職人になったサブに激しい恋情を感じる...。
商店街は潰滅し、私もサブもバラバラになって郊外に引っ越すところで小説は終わる。一つの町の盛衰史と、”商売家の子供”同士のユニークな交情史。その二つの主題を見事に重ねて、座標軸確かに書ききっている。
小説「優しい隣人」
人それぞれの”やさしさ”や”さびしさ”の追求 1994年(平成6年) 毎日新聞同人雑誌月間ベストスリー
「優しい隣人」(四国作家20号)は隣人の見当はずれな親切気に悩まされる話である。「優しい隣人」という題の付け方はいっけん反対語だ。が、子細に読んでみると、人それぞれのやさしさや、さみしさを追求している。
語り手の”私”は女子短大生。父はなく、母親と兄の三人暮らしである。”私が生まれる前からの隣同士”である隣家の“末子おばさん”は何か事情があってずっと一人暮らしだ。善意で親切だが出しゃばりでお節介。妙な想像癖があってとんでもないうわさ話をつくっては世間にふれ歩く。脳腫瘍で兄の死という悲しい事件が起こるが、その家庭にも末子さんのお節介が容赦なく侵入する..。
そんな”隣人”に振り回される一家のいわば受難の記録がこの作品の内容である。が、作者は末子の後ろ姿にある”寂しさ”を見届けることを忘れてはいない。
豊かさ装う女性の実像 1995年(平成7年)2月10日(金)読売新聞
社長令嬢との出会いが平凡な暮らしを送っていた娘の心に波紋をなげかける。「彼女のこと」(VIKING528号)は、現代の日本人が追い求めてきた”豊かさのイメージ”のゆがんだ実像を浮き彫りにしている。
「私」は地方都市の学生下宿屋の娘。12年前に名門女学院の学生として下宿し、優雅な雰囲気を持っていた貿易会社社長令嬢を町で見かけた。その女性は6年前にも、エリート商社マンの婚約者を飛行機事故で亡くしたと言って現れ、私の恋人を奪って去ったことがあったのだ。
が、彼女はなぜか、今も独身だった。これまでの話に不信を感じた私は、改めて部屋を貸し、彼女の実家を探して正体を突き止めようとする。何度か聞いた高級住宅地には、同姓同名の50過ぎの裕福なマダムである別人が住んでいた。
すべての話が嘘であった。しかし、”詐欺師”にしては何の実益も得ていない。彼女が求めていたものは富の実体ではなく、社長令嬢として自分の考え通りのアイデンティティーを演じることだった。
マダムに強い羨望を持っていた女性の実像は、令嬢の存在に理由もなく自尊心を傷つけられた私自身と重なる。それは豊かさそのものではなく、豊かさのイメージによって、他人とどう違いを出すかというゲームに熱中する現代人の姿でもある。
小説「僕らの町」
少年の心の軌跡描く 1996年(平成8年)8月27日(火) 読売新聞
効率主義から取り残された貧しい人々の中で、賢明に生きる少年の心の軌跡を取り上げたのが「僕らの町」(四国作家24号)である。
「僕」とまだ若い母親が住むのは、老朽化した文化住宅。町の開発が決まり、住人たちが次々に引っ越していく。このため、母が考えたのは、僕を別れた夫に育ててもらい、自分は別の男性と結婚するという方法。そうすれば、僕は経済的には豊かに暮らせるのだ。
町を抜け出し、立派な一戸建てを建てたものの、ローンに追われる男性への住人たちの複雑な思い。高価な贈り物をくれる母の結婚相手に対する僕の根強い反感。「私はここにいるような人間やないと思い続けていた」という母の自負心。そんな登場人物の心の動きが細やかに綴られている。