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香川県・むれ源平まちづくり協議会から生まれた落語

ruimama笑福亭小つる笑福亭智之介 

落語悩める与一




原作は書き物、落語は話芸です。

原作をベースに、落語家が、事象・風俗・文化・そして独自の個性からめ、話をふくらませ

ひとつの落語(芸術)ができます。

落語の中には、その時々を生きた人間がたくさん出てきます。

それは、自分と重なり合わせる部分も多々あり、笑っているうちにじんわりとしみてきます。

疲れたお父さんを癒し、おじいちゃんおばあちゃんに元気をあたえ、子供たちの想像力を育てる

日本独自の話芸術「落語」に、もっともっと 触れてみませんか?

 ご希望の方は、「あ!さぬき落語塾」ORこちらまでお問い合わせください。

むれ源平まちづくり協議会制作、プロモーションビデオもございます!

 

笑いの効用 源平屋島合戦web むれ源平まちづくり協議会 悩めるruimamaよいちメモ
   

落語家笑福亭智之介

1977年 神戸市生まれ。AB型。(26歳)中学時代よりマジックを始めマジシャンを目指すも、大学時代に落語研究会に入り、落語の虜に。大学2年のとき学友杯落語トーナメントで優勝。大学時代からプロと共演。在学中より関西創作落語の雄 笑福亭仁智に師事。卒業後正式入門。「悩める与一」で初の創作落語に挑む。

 

 

原作者ruimama

第28回香川菊池寛賞受賞。 現在、香川芸術フェスティバル「さぬき文芸祭」ジュニア部門選者。docomo四国香川支店 メールマガジン「讃岐メイト」エッセイ連載ほか。2004年、むれ源平まちづくり協議会に参加し、「悩める与一」原作を書く。
言葉と音楽の総合遊び活動「るいまま組」主宰O型。

 

  

  

落語家:笑福亭小つる

1957年 大阪市福島区出身。B型。昭和50年1月 五代目 笑福亭 枝鶴に入門
昭和51年3月 大阪府立摂津高等学校 卒業。同 12月 神戸 柳笑亭にて初舞台。昭和59年 六代目 笑福亭 松鶴の門下となる。以後 古典落語を中心に活動。

RNCラジオ「情報てんこもり ラジオでDON」出演中。

「あ!さぬき落語塾」塾長

塾長・笑福亭小つる師匠を中心に、日本の伝統芸能「落語」を楽しみ尽くします!


「悩める与一」原作(抜粋) 作:ruimama

 時は寿永4年如月18日、酉の刻。
って、いつのことやらわかりませんな。
 西欧スイスでウイリアムテルが我が子の頭に林檎を置いて射抜く100年ほど前のこと1185年のお話ですわ。
え? もっとわからんて? 
  まぁ、よろし。つまりは昔むか〜し、春先の夕暮れどき。
ところは屋島を望む四国牟礼海岸。
さきほどから激しく吹き荒れる北風の中、海岸縁の「駒立岩」に、馬に跨った一人の男が困り顔で佇んでおりました。
男から75メートルほど離れた海の向こうには、深紅の地に金の日の丸をつけた「扇の的」がひとつ、ゆらゆらと男をあざけるように漂っております。
男は、ちいさくつぶやきました。


「なんでこんなことになったんやろうなぁ・・・」 (略)

 

 思えば先刻、平家がこれみよがしに、この「扇の的」を乗せた舟をしずしずと出してきて、「これ射抜ける?」とこちらに見せたとき、源氏の大将義経が持ち前の気短かさから「誰かあれを射落とせるものはおらんのか?」と叫んだのが不幸のはじまりでした。

 「小賢しい平家のやりそうなことやんか。そんなん放っておいたらよかったんや」

 と、今になれば思う与一ですが、その時は与一だって、義経同様、「偉そうにしやがって誰ぞあれを射抜いてやれ」と仲間と騒いだのです。まさか、そのおはちが自分に回ってくるとは思っておりませんでしたから、「あんなもんオレやったら一発や」とも言ってしまったかもしれません。

 「いや、悪いのは後藤のおっちゃんや。あれが諸悪の根元やわな。あんなこと義経はんに言うからや」

 義経の「誰かあれを射落とせるものはおらぬか」の声に、言わなくてもいいのに、知ったかぶりの後藤兵衛実基が

 「弓の名人は沢山おりますが、下野の国の住人で、那須の太郎資高が子に、与一宗隆という者が居ります。小柄ではありますが、空飛ぶ鳥を三つに二つには必ず射落とす程の腕前でございます」と進言しました。

 即断即決の義経さん、たいして考えもせず「それは頼もしい、すぐさまここに連れてこい」と言い、与一が呼ばれ「あの扇の真ん中をうって平家に見物させてやれ」と命じられてしまったのでした。

 もちろん、与一もこんな大舞台、稽古もなしにやり抜く自信はなく、

 「と、とんでもない。三つに二ついうことは、一つは失敗するかもしれんてことなんです。それが鏑矢やったらわやですがな。そんなことになったら、源氏の名折れでしょ?」

 と一度は断ったのですが、なにぶんにも役者はあっちが一枚も二枚も上。

 「鎌倉をたって、西国へ向かう者はみな義経が命にそむいてはならぬ。それがいやならば、即刻ここから帰るがよい」 (略)

 

いつの時代も、要領の悪いやつというのはおり、不条理を吐く上司っていうのもいるものなのです。

 「難儀なことや・・」と、与一は再びつぶやきました。

 「そりゃま、腕をかわれて選ばれたって話になったら、ええやろ。義経はんに認められたといえば、聞こえもええ。けどや、失敗したらどうなる?」

 男ばっかり11人兄弟の末っ子。

 上の9人の兄は、平家のお世話になっております。

 あちらの方が、お品もよろしく、お家柄もよろしく、文化芸術にも長けて、すぐに喧嘩や喧嘩やと騒ぎ立てる源氏より、ずっと格上やと言われ続けてきました。

 11人兄弟の下のはし、余りの一で与一。ここで扇の的を打ち損じたは、平家に笑われたは、怒った義経さんに首切られたは・・なんてことになったら、「ほれみたことか」と一族から名前を消されかねません。

 「なんの因果でこんなことになってしまったんやろなぁ」 (略)

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「悩めるruimama よいちメモ」  

▲悩める与一に戻る 

2006 4月 「あ!さぬき落語塾」ホームページ開設。
2005 11月 5日>>高松一高 同窓会「桜紫会」で 小つる版 落語「悩める与一」本格発表。お三味線の勝さんと小つる師匠の絶妙の息で、鳴り物もはいり、すばらしい落語になりました。
2005 10月 23日>>丸亀婆娑羅寄席で 小つる版ますます進化。

12日>>御坊町寄席で 小つる版 落語「悩める与一」ネタおろし。 勢いと若さのある智之介版とは違った趣と風格を感じる作品に。

2005 夏 「悩める与一」を、笑福亭小つる師匠が料理してくれることになる。
2005 3月 1日>>笑福亭小つる師匠とruimama RNCラジオ情報てんこもり「ラジオでDON」で、与一落語のお話をする。

8日>>FM香川 中井今日子アナとruimama落語についての対談ほか

17日>>NHKラジオ 全国放送 智之介インタビュー受ける

18日>>源平プロジェクトで智之介「悩める与一」披露

19日>>むれ源平まつり2005「悩める与一落語会2005」

24日>>春の瀬戸内紀行 「悩める与一落語会」クルージング寄席(船上落語会)

2005 2月 15日>>建通新聞社から取材

RNC西日本放送から取材オファ(3月1日出演予定)

「春の瀬戸内紀行」クルージング(源平ゆかりの町を船でまわる贅沢な船の旅)の中で「悩める与一落語会」をすることになり、打合せが始まる。今回は、お三味線のお姉さんも頼んでの、本格落語会。

智之介くんから「今年は落語を大いに広めていきましょう!!!」と力強い言葉。ええ、がんばりましょう!!

28日>>落語会用のめくり台を作る

2005 1月 8日>>山陽新聞に 記事掲載。

むれ源平まつり2005にむけて、「悩める与一落語会2005」プロジェクト(カッチョイイ)も始動。

31日>>毎日新聞に 記事掲載

2004 12月  州崎寺の御城住職が、お寺の取材に来られたマスコミ各社にプロモビデオを公開してくださり、そこから、落語「悩める与一」の取材をしたいと、山陽新聞・毎日新聞からオファ。

 ruimama studioで取材を受けるものの、この時点で、どういう経緯から落語を書いたかの記憶があいまいになりつつあるので、やっぱりメモしとかないとなぁと反省。とほほ

年末>> NHKラジオ 源平特集に、落語「悩める与一」も取り上げられる。司会進行/編集は、うちらばんど(違)神門コータロー。

このころから、「悩める与一」が、智之介くんに落語の命を吹き込まれ、一人歩きを始めたのを実感

2004 10月 18日>>牟礼町州崎寺で ぷれ落語会「悩める与一落語会」開催。お寺に入りきらないほどのみなさんが来て下さり、多くの意見をいただいた。

 落語会の前に、まちづくり協議会のプロモビデオをとることになり、智之介くん ruimama かなり緊張気味に豊富を語る。

原作者:ruimamaから

 落語は、原作だけがあっても、落語家だけがいてもできません。「原作」と「落語家」と「お客様」で作っていく「コラボレート芸術」なのです。話者である笑福亭智之介くんが、このお話に「落語の命」を吹きこみ、来年3月の完成にむけてがんばっております。既に、先日の洲崎寺さんで行った実験落語会・「悩める与一」落語会では、原作をひょいと乗り越えた楽しい落語を聞かせてくれました。

  ruimamaから、みなさんへのお願いはひとつ、「落語「悩める与一」をお客様の前で演じる機会を智之介にたくさん与え、この落語を一緒に育ててやって下さい」。子供たちからお母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんにまで愛される、香川県&牟礼町発信の落語「悩める与一」になることを祈っております

23日>> まちづくり協議会の中間報告会で、プロモビデオ発表(全部はみせないところが ミソ!)。
2004 9月  智之介くんの腰があがり、いよいよ始動。智之介くん、協議会のみなさんと会う。協議会の中村くんが、牟礼の史跡を案内。
2004 8月 笑福亭智之介くんに、「なぁなぁ、私 落語かいてん。やってみん?」と聞く。もちろん、強制じゃなく、優しく、優しく。ほほ 
 智之介くんから、しばらく連絡がなく、ほかの人探さないとあかんかなぁと思っているところに、智之介くんから「やってみます」との連絡。 
2004 夏頃

7月14日>>アーツカウンシル高松50ドロップスオブアーツで 落語の初歩の初歩をしるかい「らくごのら」を、智之介くん/楽笑くんとるいまま組で開催

そのころ>> むれ源平まちづくり協議会観光案内委員会から、むれの観光史跡を広める方法を考えるよう課題がでる。

 いろいろ考えたけれど、真夏の暑さにやられた頭では名案もうかばず・・・ぼんやりと 牟礼は「那須与一」しかいないよなぁ・・・と思っているところに、夢幻さんから「ruimama、宿題できたん? わしはできたで」とお電話。

 「え? ええ、もちろんできましたとも」と、お返事してしまった手前、なにも書かないわけにもいかず、ぽちぽちとキーボードを打つうち、落語「悩める与一」の原型がなんとかできあがる。

 書いている途中から、この苦悩の与一って智之介やなぁ・・・と。

 「悩める与一」の原稿を持って、協議会の委員会へ。あれは、たしか、もくもく遊ランドの暑い暑い部屋での委員会でした。みなさん、いささか暑さにやられておられて、頭から湯気をだしてる方もおられましたが・・・ほほ

 お話おねえさんのごとく、みなさんに「読み聞かせ」をしたところ、概ね好評につき、そのまま企画をすすめることに。

 この会議のあとは、牟礼の夏祭りでしたっけね。なつかしい。

2004 5月 ruimama、むれ源平まちづくり協議会参加。
牟礼町を歩き、源平史跡をめぐる。駒立岩からのぞむ屋島をみながら、語り部十河さんから那須与一伝説の話をきく。
2003 年末 ruimama 笑福亭智之介が高座をつとめた 高善寺落語会にいく。