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牟礼町散策 史跡めぐりつあ〜 2004.5.1

 
 

 さて、本日は、牟礼町を知るために、牟礼に残る「源平の史跡」をめぐることになりまして、 

 朝と、陽の光が何より苦手なワタクシも、牟礼に関わった以上は知っておかねばなるまいと、ご一緒させていただくことになった次第です。

 集合は、マルヨシセンター八栗店に9:00am

 前日、新谷さんや中村君や須崎寺の御城さん、それに東京から来ている仙田さんと飲んでいて、みなさんと別れてから、またノタノタしていたもので、寝たのは明け方。

 だもんで、思いっきりふらふら。

 春の日差しが、こんなに強いなんて・・・と目眩がしそうでしたが、たまには虫干しも必要かと・・・とほほ

 

 この日、お仕事で、泣く泣く欠席のいぉちゃん

 緑の國・山形から1ヶ月前に讃岐に移り住み、誰よりも新鮮に牟礼の町を見ることが出来る人材です。

 

 

牟礼源平史跡の語りべ 「そごうさん」 9:15am

 そごうさん(商工会)が一番最初に言った言葉。

「800年前のこと、伝承されていることには時間差もあります。だから、僕は むかしむかし・・・で話します」

 うんうん、そうですよね!

 だいたい何年に何が起こってどうしたことしたなんてことを、今更覚えてなにになる?

 それだけで、歴史嫌いになる。それに、いくら学者が調べたっていっても、それが絶対にそうだなんてことないしっ。誰も見てないし。

「Long long ago 〜」ですよ。

 まずは、語り継がれた源平のおはなしを通じて、いろんなことが想像できる豊かな人間つくりからはじめないと。

 

 コトデン八栗駅のあたりが海抜0メートル。

 だから、史跡が点在する八栗駅から伸びる細い街道は、源平のころは海岸or海だったようです。それを頭に入れといてね。いぉちゃん

 

 この間走った当たりは海だったんだ。じゃぁ、あの駅前の川も海ですか?

   

そうそう、そごうさんが子供の頃には海の魚があのあたりでも捕れたらしいよ。

 

 この街道に入ってすぐにある建物。その昔の料亭。100年以上前の建物を、今も生活する建物として使っていることって すごいですよ。 

 牟礼っていうのは、やはり石材業でずいぶん栄えた町だから、こうした料亭があったんでしょうねぇ。

 

総門跡 

 

 壇ノ浦に陣をかまえた平家は、屋島に安在所(天皇が暮らすところ)ができるまで「六万寺」ってところに暮らすことになって、海の源氏に対して防衛のために門を構えたわけですね。その跡地です。

 ですが!

 ほんとにここがそうだったかどうかは定かではないそうで。今までに何度も位置は変わっているとか。

 ま、それは当然といえば当然。生活する人たちにとっちゃ、「ここにあったら邪魔だよ」っていうところもありますですよ。

 800年前、こんなことがあったということで良いではないですか。

 牟礼の石碑は「文字」がすごくいいそうで、拓本を取られる方も多いそうです。

 

eoss へぇ〜 ここって、民家に挟まれたようにあったところですね?

 そうそう、あそこ。向かいの家の二階から犬が切なく吠えてたとこ。

射落畠 

 この間行った亀のいるため池のあるところです。

 佐藤継信って人は、義経がやられそうになったとき身代わりで命を落とした人だそうで「戦の神様」として、戦時中にはもてはやされたそう。

 だからだどうだか、「佐藤継信の墓」ってのがあちこちに点在しているそうで。

 

弓流しの跡

  

義経が、戦いの途中で弓を落としてしまって、あわてて弓を拾い集めた場所。

eoss そんなもん拾う余裕があるほど、悠長な戦だったんですか?

 義経には拾い集めねばならぬ理由があったわけだわさ。

 義経ってな、相当な小男だったんだって。で、弱い弓を使ってたらしいのよ。その弓を落として、敵陣のやつらに見つかって、こんな弱い弓使ってたなんて知られたら嫌やん。格好悪いやん。男心ねぇ

eoss でも、後世まで、こんなに言い伝えられたんじゃ、あわてて拾い集めた意味ないし・・・

 

 

番外編 風の谷

        丁場(採石場)

 史跡巡りが終わり、石の民俗資料館の会議が始まるまでの1時間で、石屋さん以外はめったに足を踏み入れることのできない「丁場」に連れて行っていただきました。

 そのスケールに、一緒に行った仙田さんも、私も「おおおおおっ」

 牟礼の町からみると、ぽっこりへこんでみえる部分。

ここには、牟礼の風がふきこみ、中村君は「風の谷」と呼んでいます。

 ここを見て、まるで無理矢理に石を採石したように思われる方もいるようですが、実は、地盤の弱いところを危険がなくなるように、先に削ったものです。

 実際、近くで見ると地質の違いがわかります。

 決して自然破壊ではないことを、アレックスカーさんもおっしゃっていました。

 けれど、なかなか、そのあたりが一般の人たちには伝えにくいのが現状のよう。

 この「風の谷」は、自然災害を防ぐための策なのです。

                              ruimama

 

 牟礼の若き石屋さん 中村くん

    彼の、牟礼を愛する思いは、ruimamaノートの中にある彼からのメールでよくわかります。

 まちづくり、まちおこしの原点は、こうした「自分の育った町を愛する」ことから始まるのだと思うのです。

 

 東京「インクリメントP」の仙田さん

  彼の頭の中には、いくつもの知恵BOXがあって、次々といろんな「案」を提案してきます。

 情熱と行動の中村くん、知恵と発案の仙田くん。二人の力が、このまちづくりの牽引車になることを祈っています。

 

    

 

須崎寺 9:40am

 ここのご住職「みきさん」も、親しいお友達になりたい牟礼人の一人。

 須崎寺には、四国遍路の順番を定めた「真念」聖人のお墓がありまして、「真念」は、もともと大阪の方だそうで、そこから海路で四国徳島に渡り、弘法大師が回った寺に番号をつけつつ回ったとこと。

 だから、徳島に1番札所があるのです。(真念さんのお墓は、もともとは塩屋ってところにありました)

eoss じゃ、さぬきに着いていれば、八栗寺が1番だったかもしれないってことですね?

 そうかもしれないねぇ。

eoss じゃ、新大陸に着いていれば、そこが1番かもしれませんねぇ。

 ・・・つかねぇよ

 

      

 須崎寺境内にある源平史跡の位置を形作ったお庭。これはですね、源平の位置関係がよくわかります。

 この庭を造られたのは、京都の藤井稔さん。

 みきさんが、「庭師さんはアーチスト」と、藤井さんに話されると、藤井さんは 「芸術家は作品に値段がつく。しかし、私たちはいくらでという価格が決まってから作品を作る」 とおっしゃったとか。

 「確かに、その点は違いますが、美的センスがなければできない仕事であるのは事実です」と、みきさん。

 ほんとに、そうだよねぇ。

 

 これは、戦時中、須崎寺の釣り鐘が放出され、鐘突堂の安定を図るために釣られていた「石」。さすが石の町ですね。

 鐘突堂っていうのは、鐘の重さでバランスを保っているそうで、鐘がなくなるともろいものらしいです。

 

歩き遍路のみなさん

 私たちの集団を見て「なにをされてますの?」と声をかけてくださったので、「史跡巡りしておりますです」と答えて、「がんばってくださいね」とお言葉いただきました。

eoss ほんとは、地元のruimamaが「がんばってくださいね」って言わないといけなかったんじゃ?

 え!? 

eoss よっぽど、へろへろな顔してたんですねぇ

 

 石工の和泉さん

 昔の技術を今に伝える石工さんがお仕事をしていたので、見学。こうした石工さんも減ってきているそうです。

 仕事をする男の顔は素敵ですよ〜

 雑誌に載っていた、綺麗におひげを剃った顔より、この日の方が素敵でした、和泉さん。ほほ

 

 

噂の 祈り岩   10:30am

 ここが、この間見つけることができなかった「祈り岩」だよ、いぉちゃん。

eoss ええっ! こんなめりこんだような岩だったんですか?

 

 昔は、子供が登って遊んでいたというのに、今は、民家の軒先に、ひっそり埋まってました。

 こういうのを見るたび思うのです。

 生活と史跡の共存の難しさ。

 与一が、一世一代の業をなすまえに立ち寄って「祈り」をささげるほどの大きな岩を、これを見て想像できますか?

 かといって、この地に生活するものにとって、大岩は必要ですか?

 史跡の保存は、その地域の人たちによって支えられている。それだけでいいのかなぁ・・・

 

 

     ここも噂の 駒立岩

 

 与一が、ここに馬を止め立ち、扇の的を射抜いた場所。

 時は陰暦2月19日(なので今の3月くらいですかね?)の午後4時ころ

 的までの距離は25m。

 与一の偉業は敵側の平家にも賞賛され、現在まで語り継がれています

 が!・・・

 この場所は、ビニールが浮いたりタケノコがういたりの、生活排水が流れ込むたまりに・・・

 

 最初の会議にいったとき、「駒立岩」あたりの清掃をはなしてたでしょ。こんな状況だったんだよ。

eoss 酷いなぁ。讃岐の水って、どうしてこんなに、どこもかしこも淀んでるんですかねぇ?

 ここは、入江なわけよ。どうしても、ここで流れが止まるんでしょう。わき水が豊富で、川の流れもはやい山形の田舎町で育ったいぉちゃんとしては、こうした水のたまりは許せないだろうねぇ。

 生活排水を別のところにもっていくとか、ここは濾過した清水が流れるようにするとかなんか策ないのかなと、私も思うわさ。

 ただ・・・、むかしむかしの人は、ここが埋め立てられたり、民家がこんなに迫ってくるとは思ってなかったわけよねぇ。

 

 

  イサムノグチ庭園美術館

 庭園美術館の裏から緑をみて散策するコースを、そごうさんは「どう説明しよう」と思っていたとあとから話されていたけれど、参加者の印象に一番のこったのが、この史跡などない、風と緑の坂道。

 今、人が一番枯渇し、求めているものはなんだろうと考えたとき、

 牟礼にとって一番誇れるものは、「史跡」だけなのか? 「石」だけなのか? という最初の疑問にもどるのでした。

 確かに、史跡は大事。それを語り継ぐことも大事ですが、この地に人を呼び込むならば、それだけじゃないような・・・

 イサムノグチが、この一帯の風景をすべてとりこんでの公園にしたいと考えていたというのは、よくわかります。

 ここには、誇れる「風」「緑」「人」が、あります。

 

 

  五剣山   屋島

 

 この二つの山のおもしろさは、こうやって、のんびり緑の坂道を歩いてはじめて考えることになりました。

 雲の形でいろんなものを想像し、

 風の音におどろき、

 山の深さに歓声をあげ、

 ・・・と、感動しつづけた頃を、

 もっともっと思い出すところから、いろんなことがはじまるような気がするのです。

   贅沢の極み 土手も庵治石  11:00am   うどん 山田屋

 昼食〜〜〜約2時間の散策 へろへろへろ 歩いた〜〜〜 気持ちよかった〜〜〜

 ここは、牟礼の造り酒屋さんだった建物を「うどん屋」さんにしている山田屋さん。

 この日は1日ということもあって、八栗寺参拝者が昼には押し寄せるとのことで、早めの到着でしたが、すでにすごい人。

 釜ぶっかけ(写真を撮る前に食べてしまいました)をいただきました。

ここの若旦那も、むれの源平まちづくりのメンバーだそうです。 

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